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シリーズ:金魚娘々
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金魚娘々

作者:ナマケモノ

  • 無料作品 有料作品:¥0(税込) R18
  • 編集協力者:

     満州で生まれた音々は、戦後、日本の闇市で乞食として生きていた。 音々の心の支えは、金魚娘々と謳われた母譲りの美しい肌と、見世物小屋の青年、健一の存在だった。


    登録ユーザー星:4 だれでも星:1 閲覧数:118

    金魚娘々 6372文字

     


     金魚がひらひら泳いでいる。鰭をまるで着物の裾のように水に靡かせている。裸電球の光を受けて、赤い鱗が黄金に輝く。
     音々《ねね》は、飽きもせずに水槽の中で踊る金魚たちを見つめていた。金魚を見つめる音々の眼は虚ろで、その股下からは痛々しい鮮血が滴っている。
     下半身がジンジンと痛む。その痛みを感じるたびに、音々の眼からは涙が溢れ、頬に溜まった泥を洗い流していった。洗い流された頬は、きらきらと金魚の鱗のように煌めいている。
     音々の太物の付け根からは、赤い血が一つの筋を作って床へと流れていた。
     下半身の血は、音々が純潔を亡くした証でもあった。そして、音々の全身はそれとは別の赤い血で、彩られていた。




     金魚娘々



     音々が生まれたのは、異郷の地であった。かつて、日本が理想国家として立ち上げた満州国家が音々の故郷だった。その建国日である1932年に、音々はこの世に生を受けたのだ。父は内地の人間で裕福な商人。母は満州で生を受けた娼婦だったという。
     母は、陽に当てると赤く艶めく肌をしていたらしい。
     その煌きは、優美に泳ぐ金魚の鱗を想わせた。その肌を称え、人々は娼婦である母を金魚娘々と呼んだ。娘々とは、中国語で女神を意味する言葉だ。その名のとおり、母は女神のように光り輝く女性であった。
     泥まみれになりながら、闇市のゴミ溜めを漁る音々とは違って。
    「そら、チャンコロがゴミあさってらぁ!! 金魚のチャンコロだ!!」
     弾んだ声が、音々にかけられる。とっさに振り向くと、下品な笑みを浮かべた少年たちが音々を見下ろしていた。ニタニタと少年たちは音々が握り締めている、腐った馬鈴薯を見つめている。
    「おうおう、金魚なのに馬鈴薯なんか食うのか!? 臭い糞でも食らってればいいじゃねいかぁ!!」
     大将であろう大柄な少年は、粟立つような笑みを浮かべ手を伸ばしてきた。その手は音々の持つ馬鈴薯を狙っている。音々はとっさに馬鈴薯を胸に抱き寄せ、叫んでいた。
    「堪忍してください! これは、大事なおっとさんにやる食べ物なんです。もう、ろくに飲み食いしてなくて、このままじゃ、おっ死んじゃいます!!」
    「死ね死ね!! 汚いチャンコロ抱いた下半身のだらし無い飲んだくれなんて、おっちんじまっった方が良いって、家のオヤジも言ってたわ」
    「死ね! 死ね!!」
    「死ねー! 死ねー!!」
     少年たちは口々にはやし立てる。少年たちの罵声に、音々はぎゅっと嗚咽を堪えていた。
     たしかに父は身を持ち崩し、闇市で酒を煽るロクデナシだ。安酒が足りなくなると、音々を罵る。それでも音々は、幼い時に優しくしてくれた父への情を捨てることができなかった。父は、その境涯から蔑まれる音々にとって、唯一の拠り所と言ってよかった。
    「こらこら、やめないか。君たち」
     そんな音々を、助けてくれる者があった。
     突然声をかけられ、少年たちは背後を振り向く。ゴミ溜めに似つかわしくない白いワイシャツを着た青年が、少年たちに微笑みを送っている。
    「やぁやぁ、金魚のあんちゃん。どうしたんだよぉ。なんで、こんなチャンコロの肩持つんだ?」
    「だからだよ。弱い者いじめは楽しいかい? せっかく米兵さんからチョコレイト貰ってきたのに、君らはいらないとみえる」
    「チョコレイト!!」
     少年たちは目の色を変えて青年の元へと走っていく。青年の手からひったくるようにチョコを受け取ると、彼らは音々に向かって叫んだ。
    「チャンコロ! 今回は見逃してやらぁ。でも、今度はたたじゃおかないからな!!」
    「チャンコロ! チャンコロ!!」
    「馬鈴薯食って、腹壊しちまえ!!」
     いっそう惨めな気分になって、音々は俯く。熱い涙がほろほろと泥に塗れた頬を流れていった。
    「大丈かい。娘々……」
     青年が優しく手を差し伸べてくれる。音々は、その手を払いのけていた。
    「大丈夫だって言ってるでしょ……。あたしのことなんて、ほうっておいてくださいよ……」
     泣いていることを気取られまいと、音々は声を張り上げた。それでも、気丈な声音はどこか頼りなく、青年の表情を曇らせていく。
    「おいで、可愛い顔がだいなしだよ……。最近、このあたりじゃ人攫いも出るだろう。うろつかない方がいい」
     青年の言葉に、音々はますます顔をあげられなくなっていた。
    「僕のことも、嫌いかい?」
     その言葉を聞いて、ようやく縋るように青年のズボンを握り締める。顔をあげ、音々は困ったように青年を見上げた。
    「私のことなんて放っておいていいいのに。どうして優しくしてくれるの? 健一《けんいち》兄さん……」


     
     

     健一は、迷路のように広がる、赤線地区に見世物小屋を開いていた。 見世物といっても、手足のない百足男がいる訳でも、蛇のような肌を持つ少年が檻に閉じ込められている訳でもない。
     閉じ込められているものといったら、金魚だった。見世物小屋に入ると、正面に大きな裸電球で照らされた水槽があり、その水槽の中を縦横無尽に輝く金魚たちが泳いでいるのだ。
     健一はときおり赤線地区の酌婦を雇って水槽の中を泳がせる。赤い衣を着て金魚たちと泳ぐ彼女たちはひときわ美しく、まるで天女のようだと客たちは感嘆と溜息を漏らすのだ。
     その水槽の前に、音々は立ち尽くしていた。横では健一が、客の米兵から貰ったらしい缶詰だの、乾パンなんかを、丁寧に包にくるんでくれている。
     何だか申し訳なくて、音々は彼に顔を向けることができず、水槽の金魚をぼうっと眺めていた。
     金魚たちは長い尾ひれを絹のように纏いながら、水槽の中をぐるぐる巡っている。巡る金魚を眺めながら、音々は妄想にとり憑かれていた。
     満州で死んだ母が、金魚の鱗を全身にびっしりまとって、水槽の中を泳いでいるのだ。海藻のように翻る髪が美しい。金魚たちは母を慕うようにその周囲を巡っている。そして、音々のもとに母がやって来る。母は優しく、音々に微笑みかけるのだ。
     彼女は口をぱくぱくと開いている。ごぼごぼとその口から気泡が漏れる。母は、音々に何かを伝えようとしているみたいだった。
     ――コッチへいらっしゃい。
     そう、母は言いたげだ。
    「音々ちゃん」
     健一に呼ばれ、音々ははっと我に返る。彼は丁寧に包んだ風呂敷を、音々に差し出していた。
    「少ないけれど、持っておゆき。これで、お父さんに怒られることもないだろう……」
     音々は非常に申し訳なくなって、俯いてしまった。満州から引き上げてきてからというもの、健一は音々にとても良くしてくれる。彼のおかげで、ロクデナシの父ともども生きているといっても、過言ではない。
    「やっぱり、こういうのは嫌かい……」
     健一の不安げな声を聞き、音々の頬は熱を持っていた。嫌ではない。だが、年頃の娘が持つ頑なな矜持が、音々に返答を渋らせる。ただ音々は、頭を振り彼の問いに答えることしかできなかった。
     申しなさげに風呂敷包を受け取る。顔をあげると、健一が安堵したように笑みを浮かべていた。
     何を思ったのか、彼は音々の頬をすっと撫でてくる。音々は驚いて、その手を払いのけていた。
    「ごめん、泥とったら金魚の鱗みたいに綺麗だと思って」
     健一の言葉に、音々はすっと頬を染めていた。
     金魚の鱗のように輝く母譲りの肌に、健一は気がついてくれたのだ。音々が母から引き継いだ肌色は、音々にとって自分が母の子であるという唯一の証だった。母のように自分も美しくなれるという、わずかな幻想を抱かせてくれるものだった。
     音々は、金魚の泳ぐ水槽を見つめる。そこに映る自分の姿を見て、さあっと頬の熱が冷えていくのが分かった。
     母とは似ても似つかない、痩せて、泥にまみれた汚い娘がそこにはいる。頭の中で、金魚の鱗を纏った母が、音々に微笑みかけてくる。
     ――そんななりじゃ、とうていコチラへは来られないね。
     ――変わってご覧。変わってご覧。
     ぐるぐるぐるぐる。
     母は、脚を尾ひれのように揺らしながら、音々の脳裏を駆け巡るのだ。そんな母の空想を振り払い、音々は健一に話しかける。
    「ごめん、健一兄さん。もう、いかなくちゃ」
     変われるものなら、変わっているわ。
     そう空想の中の母に呟き、音々はその場を後にした。

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    • どうも、ありがとうございます。
      『好き』ってストレートで清々しいですね。
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    •  プロフィール写真のシンクロ率の高さに、笑わせて頂きましたWW
       叩き多恵さま、コメントありがとうございます。実のところ、以前、叩きさまの作品を拝見させていただいたことがありました。後ほど、その作品にお邪魔させていただきます。
       雰囲気重視で書いた作品ですので、その点をお褒めいただけて光栄です。ありがとうございました。
       
      • 0 fav
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    • プロ写が自分のものと似てたのでたまたまこの作品を読みましたw
      こういう幽玄なお話は大好きな世界感です。
      川上弘美の「蛇を踏む」などの一連の幻想譚と同じ匂いを感じました。
      時代設定も好きです。
      • 0 fav
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