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満州で生まれた音々は、戦後、日本の闇市で乞食として生きていた。 音々の心の支えは、金魚娘々と謳われた母譲りの美しい肌と、見世物小屋の青年、健一の存在だった。
しゃんしゃん。
歩くたび、音々の足裏が音を奏でた。
音々が薄汚い自分の体の中で好きなものと言ったら、足裏にビッチリとついた赤いガラス片だった。ガラスはロシア軍に追われ、中国内をさまよっていたときに足裏についたものだ。満州から追われた人々は、裸足でひらすら歩き、食うや食わずで米兵が用意してくれた帰郷船へとたどり着くことができたのだ。
本土に帰郷したとき、音々のように足裏に小石などがこびりつき、足裏を削ってそれをとった人が何百人といたらしい。音々もそうすべきであったのだが、彼女はこのままでいることを望んだ。
足裏を覆う硝子片は、金魚の鱗のように煌めいて音々を慰めてくれる。裸足で歩くと涼やかな音をたてる。
その音が音々は大好きだった。父は気味が悪いと音々を蔑むが。
今その父親は健一が与えてくれた食料をすっかり食い尽くし、泥のように眠っている。そのそばに立つ音々は、試しに足で地面を叩いてみた。
しゃんしゃん。
「うるせいぞ、このロクデナシ……。酒も工面できねぇ、糞餓鬼が」
父の口から生臭い息が吐き出される。ぎろりと剣呑な眼差しが音々に向けられた。音々は息を呑み、父を見つめる。
「気持ちわるいんだよ、その足。近所で見つかった金魚娘どもみたいじゃねぇか。その足のせいで、売り飛ばせもしねぇ」
父の言葉を聞いて、音々は空想の中の母の言葉を思い出していた。
――変わってご覧。変わってご覧。
鱗に覆われた母のように、行方不明になった娘達が、金魚の鱗を体中に生やした屍体になって、何人も何人も見つかっているのだ。
その死体を音々は見たことがある。死んでいた娘は、赤線地区の酌婦だった。米兵に犯され、家族に売り飛ばされた哀れな娘だった。
彼女は、金魚の鱗を全身に纏って、幸せそうな微笑みを浮かべていたのだ。鱗を纏った体がキラキラと煌めいて、音々はその屍体に魅入っていた。
ああなりたい。
この屍体のように、美しくなりたいと、思った。
――変わってご覧。変わってご覧。
空想の中で、母が囁いた言葉が脳裏を反芻する。音々は頭を軽くゆらしていた。
変われるものなら、変わりたい。でも、あんな綺麗な姿に自分はなれっこないのだ。泥にまみれた乞食のまま、一生を終えるのだ。この目の前にいるロクデナシの父親と。
「まぁ、売れなくても客はとれるけどな……」
父の言葉が耳朶を叩く。はっと我に反ったときには、もう遅かった。
寝そべっていた父親はいつの間にやら起き上がり、音々の体に覆いかぶさっていたのだ。背中に衝撃が走り、音々は父に押し倒されたことに気がついた。
眼が穴の空いたトタンの天井を映す。ぶわりと生臭い息が顔にかかって、音々は自分に覆いかぶさる父の顔を見つめていた。
「どれ、ナリは汚ねぇが、下の具合は母親譲りかな?」
下卑た父の笑い声が耳朶に反芻する。嗤いに歪められた父の眼は、爛々と雄の輝きを宿していた。
ぞくりと、肌が粟立つ。
目の前にいるのは自分の父親ではなく、獣性に飢えた醜い男だった。
――変わってご覧。変わってご覧。
母の声が耳朶を叩く。脳裏にうわぁんうわぁんと反響する。
その声に導かれるように、音々は自分の横に転がっていた鉈を手に持っていた。
ぐるぐるぐるぐる、金魚が泳ぐ。
金魚が赤くきらめくを水槽を音々は見つめていた。鉈を持つ音々の体も、金魚のように真っ赤だった。
音々の体は、裸電球の光を受けて、体にこびりついた血を照らし出している。鮮血を浴びた肌は、金魚の鱗のように煌めいていた。
「綺麗……」
水槽に映る自分の体をつくづくと眺め、音々はうっとりと呟きを漏らす。
「本当に金魚みたいだ……」
呟きに応えるように、青年の声がした。涼やかな、心地の良い声音に音々は眼を綻ばせる。
「健一兄さん……」
振り向くと、健一がじぃっと音々を見つめていた。その腕の中には女が横抱きにされている。女は金魚の鱗をびっしりと体に纏っていて、苦悶の表情を浮かべたまま、ぴくりともしない。
たぶん、女は死んでいる。
「また、駄目だったのね……」
音々がそう言うと、残念そうに健一は肩を竦めてみせた。腕に抱いた女の体を、健一は床に落としてみせる。どすんと音をたてて、女が床に叩きつけられた。電球がゆさゆさ揺れた。
「やっぱ、音々ちゃんじゃないと駄目だ。いい加減、俺の娘々になってよ」
「だって、健一兄さんには、いい人がたくさんいるじゃない……。それに、彼女たちの方が美しいわ……。私は、醜いもの……」
ほろほろと、音々の頬を涙が伝った。
あたたかなその涙は、自分を優しく抱いてくれた父の腕を思い出させてくれる。自分を犯そうとした獣のような男。だが、はるか昔には自分に優しかった、父でもあった。
優しかった父のことを思い出し、音々は涙を流していた。
ごぼごぼごぼごぼ。
ほの暗い水槽が大きな気泡をあげる。音々は驚いて、水槽へと顔を向けた。
水槽の中では金魚が巡っている。その豪華絢爛な金魚の屏風の向こうから、ゆらゆらと泳いでくる人影がある。その人影を見て、音々は眼を綻ばせていた。
人影は、脚を金魚の鰭のように揺らし、こちらへとやって来た。彼女たちは母のように、いつ見ても美しい。
人影は、赤い金魚の鱗を生やした女たちだった。
少女といえる年頃の娘もいれば、妙齢の母性豊かな乳房を持った女もいる。皆、全身にまとった赤い鱗を黄金色に輝かせ、音々の側へと寄ってくる。
彼女たちは、音々に優しく微笑みかけてきた。そして、口を開けて気泡をごぼごぼと吐き出すのだ。
――変わってご覧。変わってご覧。
――コチラへおいで。コチラへおいで。
金魚女たちは、音々を慰めるようにそう言っているらしかった。
あぁ、自分はソチラに行って良いのだろうか。彼女たちの優しい眼差しを見つめながら、音々は考える。
なりたい。金魚になりたい。醜いこの人間の体を脱ぎ捨てて、彼女たちのような美しい金魚の肉体を得たい。
「音々ちゃん……」
健一の声が背後からした。振り返ると、健一が柔らかな笑みを浮かべている。彼は裸電球に照らされ、赤く照り光る音々の体に見蕩れているらしかった。
このまま健一は、自分を金魚にしてくれるのではないだろうか。ふっと音々の中に仄暗い考えが浮かぶ。音々のふくよかな唇には、自然と笑が浮かんでいた。
「あぁ、綺麗だよ。娘々……」
健一がうっとりと呟く。
彼の眼に映る音々は、妖艶な、それでいて美しい女の笑みを浮かべていた。
激痛が体全体に走って、音々は小さく唸っていた。
「大丈夫……」
体の上に跨っている健一が、音々の顔を覗き込んでくる。彼の手には、金魚の鱗が挟まったピンセットが握られていた。ピンセットの先で、鱗は金色の輝きを放っている。
音々は自分の胸元を眺めた。
泥にまみれた皮膚はすっかり剥ぎ取られ、美しい赤い鱗が音々の胸を覆い尽くしている。まだ人間の皮膚が残る腹の隅には、乾いた精液がこびりついていた。精液は、健一のものだ。
そっと、音々は腹についた精液に手を伸ばす。
お互いを求め合いながら、健一は音々を新たな存在に変えようとしていた。泥にまみれた乞食から、音々は美しい金魚になろうとしている。
ふっと腹の中に微かな胎動を感じ、音々は眼を見開いていた。
視線を感じる。頭上を見上げると、天井いっぱいに広がる水槽が視界に飛び込んできた。水槽の中では、金魚の鱗を纏った女たちが優美に泳いでいる。
彼女たちは水槽の底に手をつき、音々に微笑みかけていた。
まるで、音々の中に宿る命を祝福するように。
音々の眼も自然と綻ぶ。音々は、金魚女たちに笑顔を浮かべていた。
もうすぐ、自分も彼女たちのいるアチラへといけるのだ。そして、音々は新たな命を水槽の中で産み落とすことだろう。
母と同じ、金魚娘々に、音々は生まれ変わるのだ。
2015/10/24 00:39:57
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2015/10/24 22:54:47
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2015/09/12 17:41:23
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